音楽と合唱をこよなく愛する者達の集まりです

よけいなお世話


よけいなお世話 2009年演奏会宿  

今回はなかなかホテルが見つからず遅くなりました。

一応、会場から近いというだけで選んだ2つのホテルを載せておきます。

1.晴海グランドホテル

現時点で予約できるのは、東京国際フォーラムプランのみです。
晴海通りを挟んで向かい側になるので横断歩道を渡るようになります。
禁煙ルームはありませんが、消臭対策はとってくれるようです。
朝食バイキングは無料です。

ホテルHP
http://www.maxpart.co.jp/harumi/index.html

宿泊予約は、
https://asp.hotel-story.ne.jp/ver3d/ASPP0200.asp?hidSELECTPLAN=69732&hidSELECTCOD1=02980&hidSELECTCOD2=001&dspmonth=2009/12/01&selectptyp=00021&selectppsn=00010&pac=P01&hidk=&LB01=server4&mode=

ちなみに12月12日の宿泊代は
ツイン1名 8800円
ダブル1名 9800円
ツイン2名 5300円×2名
ダブル2名 5800円×2名
ツイン3名 4300円×3名

晴海グランドホテルアクセス

画像の説明

2.東京ビュックホテル

コチラは、オーナーズビジネスホテルということですが、週末はオーナー以外でも泊まれるようです。
但し、オーナー優先なので1ヶ月前からの予約受付となります。
必ずしも予約出来るという事ではないようです。
トリトンスクエアーと同じ側にあるので、晴海通りを横断する必要はありません。
現時点では、予約は受けていません。

ホテルHP
http://www.tokyo-buc.com/index.html

よけいなお世話 番外編 (福島章恭先生のブログより)  


キリエ気両弖
今朝は故あって早起きをして(させられ?)、「花のコーラス」に向かう前の約90分を、南大沢のファミレスで過ごした。簡単な朝食をとった後は、例によって「ロ短調ミサ」のスコアを眺めていたのだが、冒頭の「キリエ機廚鮓ていたとき、突如、全身が雷に打たれたような衝撃に見舞われた。「そうだったのか!」と一瞬、息も出来ないほどに。

「ロ短調ミサ」を最初にFM放送で聴いたのが小学校6年生のとき。とても気に入って、レコードを買って貰い、何度繰り返して聴いたか知れない。その頃から早30余年の月日が経過している。大学生時代には、1年間のレッスンを経て演奏会本番で歌ったし(朝比奈先生が振るはずだったが病気で降板。秋山先生が代演)、東京ジングフェラインでの稽古を始めてからだって、既に18ヶ月が過ぎた。
それなのに、なぜ、今までこうも痛切に感じられなかったのか?
自らの不明を恥じるほかないではないか!

一体この私に何が起きたのかというと、
「キリエ機廚遼粗、あの痛切にして天への憧れに満ちたな祈りの音楽の中から、十字架に磔にされ血を流し、うなだれるイエスの像が鮮烈に浮かんできたのである。
この眼前に、異様なまでの生々しさを伴って!

なんだ、そんなこと、知っているよ。
と言わないで欲しい。私も頭では理解していたつもりだが、今朝は、理屈ではなく、実感が伴っていたことにショックをうけたのである。

この発見が真実だとすれば、それにつづく長大なフーガによる主部もよく見えてくる。テノールから他のパートに歌い継がれる美しくも哀しみに満ちたテーマは、イエスがゴルゴタの丘へ引かれる足取りを顕しているのではなかろうか? 鞭打たれ、投石され、罵詈雑言を浴びつつ、重たい足を引き摺り、立ち止まっては深い溜息をつき、苦しみ、喘ぎ、そして父を思い天を仰ぐ。

バッハは、イエスの受難の中にこそ、「人類を憐れむ力」が存在するのだ、と信じていたのではなかろうか? また、それを我々に知らせようとしているのではないか?

そういえば、「クリステ・エレイソン」を挟んで次の「キリエ供廚離董璽沺∨粗の4つの音による形だって、十字架そのものだ。やはり、上の私の発見は限りなく正しいような気がする。

なんだ今ごろ・・・、と思われるかもしれないが、これを知識ではなく、魂で実感できたことは、私には大きな事件。来るべきレッスンや本番に必ずや良い影響をもたらすであろう。

やはり、たまには早起きをするものだ(と述べつつ、夜更かししている・・・)。

作成者 福島章恭 : 2008年6月25日(水) 01:12

よけいなお世話 その1    

 来る7月27日の定演本番前夜のリハが本番と同じ杉並公会堂で行われます。夜のリハで当日朝早いのが苦手な方、帰るのが面倒な方、杉並公会堂から歩いて数分のところにビジネスホテルがあります。どの程度のきれいさかはわかりませんが、アルトのH、ソプラノのNさん、バスとソプラノの御夫妻は既に予約を入れました。もし、まだホテルを探していらっしゃる方、近場がいいと仰る方は一度ホームページからご覧になっては如何でしょうか?予約は電話のみ。ただ、ホームページのインターネット割引クーポンを持参すると少し安くなるようです。

  • ホテル名  クラブイン荻窪
  • ホームページ クラブイン荻窪
  • 電話番号 03-3393-9191

  • 荻窪周辺地図


よけいなお世話 その2  

 バッハのロ短調ミサ、この曲はモーツァルトのレクイエムとは違い、典型的なミサの様式をとっています。そこで、最近良く福島先生から神秘的に、荘厳になどと注意を受けますがまだ教会のミサに参列なさった経験のない方は一度試しにミサとはどのようなものなのか参列なさってみては如何でしょうか?

 教会によってもその聖歌隊の上手下手はありますが、何もわからなくても神聖さ、厳かさを感じられると思います。ミサの進行は、ほぼロ短調ミサの進行と同じです。あ、でも今回はカトリック教会に行って下さいね。ロ短調ミサはカトリックのミサなので。

 プロテスタントだとマリア信仰がないので、多少違ってくると思います。カテドラル等の大きな教会でなくても御自宅の近くにあるカトリック教会を探してみて下さい。日曜日の朝10時頃(教会によって違う)ミサがあります。どなたでも気楽に参列できます。一度ミサに参列したからと言って信者になりなさいとは言われませんので安心して下さい。

 そして、教会に行ったら座席の周りを見回して下さい。
赤い表紙の小さな本があります。それと黒い表紙のカトリック聖歌集。もう一つ茶色の横長の典礼聖歌集。

 赤い小さな本はミサの進行がよくわかります。多少の言葉の違いはあってもほぼその本の通りにミサが進んでいきます。

 祭壇の右側に3桁の番号が張り出されていればそれはミサの中で歌う聖歌の番号です。聖歌125と書いてあれば黒い本を見ます。典が付いてれば典礼聖歌集(茶色)です。この典礼聖歌集のほとんどが高田三郎先生の作られた聖歌です。

 神父様が丸い白いものを捧げられたら、それはパンに例えられたキリストの体です。洗礼を受けた信者が祭壇へ列を成してご聖体拝領に出ますが、信者でない方もこの列に加わり、神父様の前で「御祝福を」と言えば、頭に手をかざして祝福を与えて下さいます。

 ジングはミサ曲が多いのでチャンスがあったら、クリスマスでも復活祭にでも気が向いた日曜日にでも参列してみたらどうでしょうか?

 ミサには参列したくない方には、今一度「ベンハー」をご覧になるとわかりやすいかと思います。数年前に公開された「パッション」は、かなりどぎついし難しいと思います。私も二度とあの映画は観たくない。

 ベンハーの中ではまだ大工の息子であったキリストがベンハーに水を与える場面、布教をしているキリスト、処刑の場への十字架を背負う姿、十字架に架けられてから亡くなるまでの天変地異、等が気をつけてみているとわかります。復活の場面があったかどうか定かではありませんが…

よけいなお世話 その3  

 今日はクレドについて書いてみようと思います。
 クレドは、ミサの中では信仰宣言となります。

普段は、

 天地の創造主、全能の神である父を信じます。
 父のひとり子、おとめマリアから生まれ、
 苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活して、
 父の右におられる主イエス・キリストを信じます。
 聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、
 罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。

これが詳しくなるとクレドの内容に近くなります。

 われは信ず、唯一の神、
 全能の父、天と地、見ゆるもの、見えざるもの、すべての造り主を。
 われは信ず、唯一の主、神の御ひとり子、イエス・キリストを。
 主はよろず世のさきに、父より生まれ、
 神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神。
 造られずして生まれ、父と一体なり、すべては主によりて造られたり。
 主はわれら人類のため、また、われらの救いのために天よりくだり、
 聖霊によりて、おとめマリアより御からだを受け、人となりたまえり。
 ポンティオ・ピラトのもとにて、われらのために十字架につけられ、
 苦しみを受け、葬られたまえり。
 聖書にありしごとく、三日目によみがえり、
 天にのぼりて、父の右に座したもう。
 主は栄光のうちに再び来たり、
 生ける人と死せる人とを裁きたもう、主の国は終わることなし。
 われは信ず、主なる聖霊、生命の与えぬしを。
 聖霊は父と子よりいで、父と子とともに拝みあがめられ、
 また預言者によりて語りたまえり。
 われは一、聖、公、使徒継承の教会を信じ、
 罪のゆるしのためなる唯一の洗礼を認め、
 死者のよみがえりと、来世の生命とを待ち望む。アーメン。

となります。

父の子、イエスは、当時ナザレでヨゼフと婚約していたマリアの体に聖霊によって人の子として身ごもられます。これがいわゆる処女懐胎です。マリアビルジーネですね。

30歳になるまで、イエスは大工ヨゼフの子として普通に生活をします。ただ、幼い頃、父の家である教会に出かけた時には学者達と議論したりしていますから全くの普通ではありませんが。

30歳になったイエスは、ヨルダン川で洗礼を受けます。イエスがヨルダン川で洗礼を受けられた時、聖なる父、全能の神は御ひとり子が人となって世に来られた事を天からの声によって示されました。また、聖霊は鳩の姿をして下り、イエスが油を注がれた神のしもべ、貧しい人に福音を告げるかたであることを知らせます。(教会で鳩が描かれているのは聖霊を現しています)

そして、神の言葉を人々に告げるため布教を始めます。その言葉や奇跡によって人々は段々とイエスの周りに集まりだします。
旧約聖書にあるとおり、イエスはロバに乗り、エルサレムに入ります。これから先にご自分に起こる恐ろしい出来事のすべてを知っていたイエスは、最後の晩餐で自らが流す血をぶどう酒に、人々のために捧げられる体をパンに例えて、弟子達にミサの方法を教えます。その後、弟子の一人であるユダの裏切りによりピラトに捕らえられます。

旧約聖書の中で、メシア(救世主)が現れることは書かれていました。ただ、当時人々が信じていたユダヤ教ではメシアは強い存在であると信じられていました。ですから、貧しいただの大工の息子がメシアであるとは信じられませんでしたし、信じたくなかったのでしょう。(ユダヤ教では今もメシアが現れることを待ち望んでいます。)ただ、人々に慕われ続けるイエスは目の上のたんこぶでした。ローマは、メシアが現れて領地を取られることを恐れていました。

ピラトに裁かれ、石や鉤のついた鞭で打たれ、ナザレの王としていばらの冠をかぶせられたイエスは、ゴルゴダの丘まで自らが磔にされる十字架を背負って登ります。(日本式に言えば引き回しの刑)
当時の罪人は、十字架にはりつけられる時、手首と足首を縄で縛られ、しばらくして脛を折られて処刑されました。イエスの場合は、
手のひらと足の甲に釘を打たれ、はりつけにされ苦しみながらも「父よ、この人達は何をしているのかわからないのです」と神に許しを請います。父の怒りで雷や大雨が襲います。そこでイエスは、
右わき腹を槍で貫かれて絶命します。

3日後、約束どおり復活して、天に登る前に弟子達の前に現れ、夫々の役割を与えます。そして、天に昇り、父の右に座しておられます。いつの日かまたイエスが地上に下りて来ると言われていますが…

何のためにイエスはこのような生涯をおくったのでしょうか?
永遠の命を与えられていたアダムとイブが神から食べてはいけないといわれていた木の実を蛇に姿を変えた悪魔の誘惑から食べてしまった時、楽園を追われ、すべての子孫に原罪を与えられました。

原罪を消し去り、永遠の命を与え、再び楽園で暮らせるようにイエスは人の子として生まれ、自らを犠牲としました。

これがおおまかなクレドの内容になります。
勉強不足の私がこんなことを書いていいのか悩みました。
イエスの生涯について描かれているDVDを何本か観ましたが
言葉にするのは難しいです。読み流してください。

最後にもうひとつ。
アーメンとは、そうなりますように という意味です

画像の説明
2006年の12月の楽友協会モツレクに参加した時、楽友協会の向かいの教会カール教会で写しました。教会の天井のドームの真ん中に聖霊である鳩が描かれていました。ちょうど、修理中で足場が天井近くまで組まれていて観光客も登る事ができたので本当に手の届きそうな所で撮影できました。

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